いつも楽しみにしています!!ゆうさんが手に入れるラケットはいつも軽いですね!!沢山の中から選んでいるのですか?たまたま軽いラケットがゆうさんの所にやって来るのですか?ワラック!!気になります!! 特に回転量は多くコントロール性もすごく優れていてやり易いです。

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スピードラケットで一発でバシっと決めるのもいいですが、卓球は相手の台上にボールを入れてなんぼです。ボールを操る楽しさはこのラケットの特徴です。, ギオニースゥー 現在JavaScriptが無効になっています。Yahoo!ニュースのすべての機能を利用するためには、JavaScriptの設定を有効にしてください。JavaScriptの設定を変更する方法はこちら。, いよいよ東京五輪の年が明けた。日本選手の活躍が期待できる卓球は、ますます注目されることだろう。, ところで、現在、卓球のラケットといえば、握手をするように握る「シェークハンド」と、ペンを握るように持つ「ペンホルダー」の2種類があるが、かつて日本にこのどちらでもないラケットが存在した。, ラケットのルールは、材質が木材という規定はあるが、大きさや形状についての規定はない。そのため、ペンホルダーでもシェークハンドでもない「第3のラケット」がこれまでにいくつも考案されてきたが、いずれも定着することなく消えていった。その中で唯一、全国大会の上位者が出るなど、ある程度の成功を収めたラケットが存在した。それが「ハンドソウ」だ。, ハンドソウとは、グリップの一部に空いた穴に中指を入れて、その名の通り「手のこぎり(hand-saw)」のように持つラケットで、俗に「ピストルグリップ」とも呼ばれる。数年前まで細々とメーカーから発売されていたが、今では廃版となり、特注品以外では手に入らなくなっている。もともと使用者は少なく、卓球をしている人でも見たことがある人は希だ。まして普通に暮らしている善良な一般市民が目にする機会はない。, それだけ希少なラケットであるにもかかわらずと言おうか、だからこそと言おうか、いつ誰が発明したのかは謎に包まれていた。卓球史にも出てこないし、メーカーに聞いてもわからないという。, そんな状況が長い間続いていたある日、ハンドソウの熱心な愛好者から、ある論文の情報がもたらされた。それは日本体育学会のウェブサイトに掲載されていた「卓球競技における新型ラケットの考察について」という1973年の論文だった。ハンドソウという言葉こそ出ていないものの、紛うことなきハンドソウ発明の論文だった。, 著者は「川又宏司(新潟大学)」とある。まさにハンドソウのレジェンドだ。写真から察するに、ご存命なら80歳前後だ。, 新潟大学の卓球関係者に聞いてみると、新潟市内でご健在であることがわかった。卓球史を研究している身としては会わないわけにはいかない。どういう経緯でこのラケットを作ったのか、なぜその発明者の名前は埋もれてしまったのか、そもそも川又宏司とはどういう人物なのか。興味は尽きない。さっそくご本人に電話で連絡を取り、ご自宅でお話を伺えることになった。, 戸建ての玄関先で奥さんとともに出迎えてくれた川又さんは、少し小柄で、意外にも見るからに常識的で温厚そうな紳士であった。一般的に考えて、新しいラケットを発明して発売するなど普通の人間がすることではない。会話が成立しないほど自己主張が強かったり、何で怒り出すかわからないといった癖のある人物を想像していた私は安堵した。, 川又さんは昭和9年新潟生まれの御年83歳(取材時)であった。初めて卓球と出会ったのは、昭和20年の8月15日の午後のことだった。日付まで覚えているのは、日本が大東亜戦争で負けた日だったからだ。父の仕事の関係で山形県天童市に住んでいた小学5年生だった川又さんは、その日の正午、家族とともに自宅のラジオの前で天皇陛下の玉音放送を聴いた。放送の意味はよくわかった。日本は戦争に負けたのだ。父は泣いていた。, 午後になって学校に召集されたので行ってみると、信じられない光景が広がっていた。体育館に卓球台が何台も並べられ、見たこともない大勢の若者たちが何とも楽し気に卓球に興じていたのだ。青い空の素晴らしく良い天気の日だった。川又さんはそれまで卓球を見たことはおろか、卓球という言葉さえ知らなかった。遊びといえば戦争ごっこ、運動といえば男子は銃剣、女子は長刀ぐらいしかなく、毎朝5時に起きては少年団ごとに天童市内の舞鶴山の神社に武運長久のお参りに駆け足で行かされるという生活だった。, 「人間て面白いですね。戦争に負けたらアメリカ人に皆殺しにされると言い合っていたのに、いざ終戦になるとそんなこと忘れてみんなで卓球ですよ。牢屋から出されたようなものでした」, 初めて卓球をした川又さんは、さっそくその日のうちに町の小さな雑貨屋に行き、奇跡的にペンホルダーのラケットを手にした。ラバーの貼っていない、その木ベラのラケットが生涯つきあうことになる卓球のラケットとの出会いだった。, その後、父の転勤にともない同県小国町の小国中学校で卓球部を作り、練習に熱中した。壊れたゴム長靴のゴムをラケットに貼り、回転をかけるといった、その後の卓球技術史を先取りする工夫もしていた。新潟県新津高等学校時代には卓球から遠ざかり、野球部を作って野球に明け暮れた。, 新潟大学教育学部に入学すると、卓球への情熱が再燃し卓球部を作った。戦後まもなくという時代もあって、川又さんは行く先々で組織を作っている。大学を卒業し、中学、高校の教諭などを経て昭和41年頃から新潟大学で体育教育に携わることになる。, この時期、大学の教育制度が大きく変わり、大学での体育教育が必修科目として制定され、結果として川又さんは日本の大学の体育授業の草分け的存在となった。, こうした大学の体育教育の場に携わりながら、川又さんにはあることが気がかりになっていた。かつての勢いを失いつつある日本の卓球のことだ。時は1970年代。世界の卓球界にはヨーロッパ、特にハンガリーの強烈なドライブが台頭しつつあった。中でも川又さんの心を捉えたのは、ハンガリー選手の強烈な横回転のかかったドライブだった。, 「あのボールは、腕力に劣る日本人には無理です。どうにかして腕力のない日本人が簡単に強烈な横回転ドライブを打つことができないか、そう考えて生まれたのがハンドソウだったんです」, ハンドソウは最初、今はなき「ピンメイト」というメーカーから発売されたが、驚くべきことに、川又さんはそこから発売されることになった経緯がよくわからないという。ピンメイトの人に食事をご馳走になった覚えはあるが、何の契約もせず、ハンドソウに関して「一銭ももらっていない」と言う。, 「今回あらためて調べたらピンメイトからの請求書が出てきましたよ。私は自分が発明したハンドソウをお金を出して買っていたんですね。驚きましたよ」, 公務員であったため、副業で利益を得るとなると手続きが面倒だったことと、何より自分が生み出したハンドソウが商品として世の中に出るだけで嬉しく、それ自体が報酬のようなものだったと川又さんは語る。, 「要するに私は商人ではなかったということです。私が商人ならもっと上手くやる方法があったんだと思いますよ。かなりの数が出たと聞いてますから」, 案内されるままに階段を上がり、二階の部屋に通されると、そこには目を疑う光景が広がっていた。居間のテーブルに残したままのICレコーダーが、私が二階で発する「うわーっ、うわーっ、凄えーっ、凄えーっ」という叫び声を拾っていた。, 部屋中に散乱した無数の木材と作りかけのラケット、ラバー、工具、卓球マシン、そして防球ネット。壁に掛けられた、ラケットの型と、そこに記された日付、工法、使用感のメモ。緻密なのか雑なのかわからない、ただただ常軌を逸しているとしか言いようのない「ラケット工場」だった。, 特に川又さんが力を入れているのが、打球面から二本の柄が突き出たラケットだ。それは、特殊な環境で無残な形に進化してしまった生物を思わせた。電話で取材のお願いをしたとき、川又さんがハンドソウの話もそこそこに「二脚式ラケット」という言葉を発していた記憶が蘇った。インタビューでハンドソウについて語るとき、どこか熱が入っていない様子に奥ゆかしさを感じていたのだがそうではなく、川又さんにとってハンドソウは過去のものだったのだ。, 二脚式ラケットは、ペンホルダーとシェークハンドの握りを瞬時に切り替えることができ、両方の長所だけを使ってプレーすることができる究極のラケットだそうだ。その有用性についてはノーコメントだが、圧倒的な情熱が詰まっていることだけは疑いようもない。, おびただしい木片に囲まれて座る川又さんの姿は、先ほどまでの常識的な元大学教授ではなく、マッド・サイエンティストそのものだった。ハンドソウを発明するような人が普通であるはずはなかった。, 「いや、競技としても。すべての面で1番でしょう。だからもっと評価されるべきだと思いますね」, 45年間年もこの部屋で理想のラケット作りを続けてきたこの男が、卓球の持つ力を疑うわけもなかった。愚問を発したことを私は恥じた。, 生けるハンドソウのレジェンドは、今も週に3日は仲間たちと卓球を楽しんでいる。その手にはハンドソウではなく、日々改良を続ける二脚式ラケットが握られている。理想のラケット作りはまだ道半ばだ。, 1964年岩手県生まれ。中学1年から卓球を始め、高校時代に県ベスト8という微妙な戦績を残す。大学時代に、卓球ネクラブームの逆風の中「卓球を語る」ことに情熱を傾け始める。東北大学工学部修士課程修了後、ソニー株式会社にて商品設計に従事する傍ら、語るネタとして卓球本の収集を始め、それがきっかけで2004年より専門誌「卓球王国」でコラムの執筆を開始。2018年からフリーとなり、卓球史研究、卓球映像編集、小中学生の卓球指導をしながら執筆・講演活動に勤しむ。NHK、日本テレビ、TBS等メディア出演多数。2020/11/6新宿ロフトでのトークライブの動画配信中!, ※本コメント機能はFacebook Ireland Limitedによって提供されており、この機能によって生じた損害に対してヤフー株式会社は一切の責任を負いません。, トランプ大統領に「追いすがった」日本の保守派の4年間~彼らは安倍政権の上位互換を夢見た~(古谷経衡), 振り向かれない女性の愛の果てを体現した清瀬やえこ。「彼女をメンヘラで片付けたくない」(水上賢治), 【「麒麟がくる」コラム】明智光秀が治水対策のために作った「明智藪」は実在したのか?(渡邊大門), 巣ごもり化の影響か、各局とも上昇…主要テレビ局の直近視聴率をさぐる(2021年3月期上期)(不破雷蔵), <朝ドラ「エール」と史実>「俺を殺せと言うのか」占領軍の過酷な命令が伝説的ドラマ「君の名は」を生んだ(辻田真佐憲), 今年の福岡ソフトバンクのような、「CS全勝の球団」は日本シリーズでも強かったのか(宇根夏樹), わいせつ教員の半数がSNS活用、「だからSNSは危険」とみなす人のカンチガイ(遠藤司), 「オジュウチョウサンはかなり悔しがっている」障害の絶対王者が4年8か月ぶりの敗戦「また1から練習を」, 新型コロナの陽性反応が6選手も出たサッカー韓国代表はなぜメキシコ代表と対戦できたのか?, 【エリザベス女王杯(GI)展望】調教が好内容だった注目馬は?京都から阪神へのコース変更の影響は!?, MLB初の女性GMになったキム・アングと楽天の新監督に就任する石井一久の不思議な縁, ジダンとレアルが逃した「大きな魚」は?レギロン、アクラフ、ジョレンテ...マドリディスタの複雑な感情, 前代未聞の「退団騒動」を巻き起こし、「メジャー挑戦」した男の目に「田澤ルール」撤廃はどう映るのか, 川越東、四日市工が嬉しい初出場!100回目を迎える「花園」、新たに16校の出場が決定, カナダ本拠地チームの悲劇 ブルージェイズに続き開幕目前のラプターズがホームレスに?, 11月16日の関連記事スクラップ/宇宙飛行士・来秋募集/コロナ禍の大学入試/高卒就職の離職防止, 「米債安から円債上値は重いか」牛さん熊さんの本日の債券(朝)2020年11月16日.

使用したもの↓ ブレードの特徴のしなりと、合板構成から回転性能に特に優れたラケットです。簡単に上に飛んでくれるため、直線的に飛ぶスピード系ラバーでも扱いやすいです。, スワットのレビューで「コルベルで物足りなくなったらスワット」って書いたんですが、コルベルの方が威力出ますね。。。ゴメンナサイ。.

使いにくいので需要も減っていっているのだと感じますが。, 周囲でも本当に角ペン 裏面使いの方が増えてきました。

卓球 ラケット 名前 どこに 書く.

グラムには相当な時間悩まされてきましたから。そうですね、グラムと戦って15年くらいです。, 重量ってシビアですよね。自分は片面ペン表ですが、この前スペクトルからスピンピップスに変えただけで、片面ペン表のくせにだいぶ重たく感じ、肩がぶっ壊れるかと思いました。とても裏面を貼ろうなんて考えられません。ゆうさんは裏面はいつからやってるんですか?, ぼくは18歳の時に初めて裏面を貼りました。