番組名:THE YELLOW MONKEY 30th Anniversary LIVE直前スペシャル【ライブ1曲限定配信】

THE YELLOW MONKEY(ザ・イエロー・モンキー、略称:イエモン)は、日本のロックバンド。1988年に結成し、1992年5月21日に「Romantist Taste」でメジャーデビュー。2001年1月8日に活動停止を発表後、2004年7月7日をもって解散。その後、2016年1月8日に再結成された[1][2]。デビューからのCD総売り上げ枚数は、シングル・アルバム合わせて1,000万枚以上[3][4]。, かつての公式ファンクラブは「Petticoat Lane」。再結成後の公式ファンクラブは「BELIEVER.」。, 吉井はSABBRABELLSやアクションなどのジャパニーズメタルバンドから影響を受けている[5]ほかデヴィッドボウイやミックロンソンなどグラムロック系のアーティストからも強い影響を受けている。4人全員が元ジャパニーズ・メタルバンドのメンバーだったのだが、メジャーデビュー後はヘヴィメタル、ハードロックから一歩距離を置いた方向性に進んでいる。, バンド名の「イエローモンキー」とは、主に西洋圏で使用される東洋人に対する蔑称である。吉井が自身のイニシャルである「Y」から始まる英語を辞書で探していたことがきっかけで、「ダサくてシニカルな名前にしたい」と考えていた吉井によって、結成前に発案されていたという[7]。また、その名称からローリング・ストーンズがバンド名を初めて聞いた際、「すげえ名前だな。絶対忘れねえ」と語ったエピソードもある[7]。, 吉井は名称に込められた思いとして「洋楽へのコンプレックスがあった」ことを語っており、「日本のロックにこだわりをもっているが、『日本のロック』という言葉には既に洋楽へのコンプレックスがあり、それは永遠に消えない」としている[7]。また、「ルックスが良くて長身なのが『イエローモンキー』のコンセプトで」とし183cmの吉井初め全員が長身である。, 「イエモン」の略称がメディアやファンを中心に用いられている。デビューして間もない時期に、音楽誌のライターが「『ミスチル』と略すことと同じ感覚で」名付けたことがきっかけである[8]。, 2013年に発売されたベストアルバム『イエモン-FAN'S BEST SELECTION-』は、長く応援し続けてくれたファンにも「イエモン」という略称を受け入れてもらうため、最もわかりやすい愛称としてタイトルに相応しいのではという意見がメンバーやスタッフから上がり、満場一致で「イエモン」がタイトルとして採用されることとなった[9][10]。, なお、メンバー自身は「イエモン」の略称を使用することがなく[8]、吉井とドラムの菊地は「今でも(2019年当時)コアなファンは略さない人が多い」と語っている[8]。, ベースの廣瀬は「ファンの中には『メンバーがこの略称を嫌がっている』と思っている人がいるかもしれないが、決してそんなことはない」と語っており、「(上記の)ベストアルバムにも僕らから『イエモン』と使っていますし、名称としては気にしていない」としている[8]。, 1988年に結成。当初は元SHOCKの松尾賢一がボーカル、元URGH POLICEの吉井がベースを担当していたが、以前から親交のあった元MURBASの廣瀬洋一をメンバーに誘い、吉井はギターに転向した。さらに「KILLER MAY」のドラムとして1986年にメジャーデビューしていた菊地英二が同バンドの解散後に加入する。後に松尾が吉井との「音楽的な意見の食い違い」を理由に脱退したため吉井がボーカルに転向し[* 2]、「KILLER MAY」のギターとして活動していた英二の実兄・英昭が加入。1989年12月28日に現メンバーで初めてのライブを行う。, 当時は渋谷区のライブハウス「渋谷La.mama」を拠点に精力的なライブ活動を行っていた。バンド初期はデヴィッド・ボウイ、ミック・ロンソン、T.Rexなどを彷彿とさせるグラムロック色が強く、メンバーが奇抜な衣装に派手な化粧をしたりするなど後のヴィジュアル系のようなルックスをしており、ヴィジュアル系を取り扱う雑誌やライブイベントにも参加していた。, 当初の観客動員は好調であったが、ダークな楽曲が中心だったこともあり徐々に動員数は減少。しかし、グラムロックイベントにて「SLEEPLESS IMAGINATION」(『Bunched Birth』収録曲)を初披露して以降、動員数は増加した[8]。ベースの廣瀬は「ダーク色もありつつ、デヴィッド・ボウイのような煌びやかさをミックスしたグラムロックを鳴らし始めたからこそ、動員数が増えたのかもしれない」としている[8]。また、吉井がライブで女装をし、オカマキャラを演じることにより当初苦手だったMCが「面白い」と評判になったことも動員数増加の後押しとなった[12]。当時の観客層は9割女性だったという[12]。, 1992年5月21日、日本コロムビアより1stシングル「Romantist Taste」でメジャーデビュー。レコード会社はフォーライフ・レコードとの2社間で決めかねていたものの、吉井がある日見た夢に美空ひばりが現れ「『あとは任したわよ』って言われた」ことを決定打とし、コロムビアへの所属を決定することとなった[13]。1か月後には1stアルバム『THE NIGHT SNAILS AND PLASTIC BOOGIE』をリリースした。だが、枚数は思うように売れずオリコンチャート圏外となり、インディーズ時代からのファンにも酷評を浴びるなど芳しくなく、後に吉井も「(所属事務所の)社長もどう売っていいのか分からなかったと思う」と語っている[14]。しかし、ライブの動員数はイベント出演なども手伝って伸び続け、チケットは毎回完売状態だった[15]。1993年4月には日本青年館で初のホールライブを実施。同ライブでは、両手を縛られ頭に袋を被せた裸の女性2人をステージに出す衝撃的なオープニング演出を行った。, 当時、日本コロムビアのディレクターだった宗清裕之はセールスが伸び悩むことを危惧し、「もっとコマーシャルな方向に行こう」と提案した。その一方、吉井は「この先もバンドを続けていく上で、1回はコンセプトアルバムを作りたい」と語り、1994年3月にコンセプトアルバムとして3rdアルバム『jaguar hard pain』をリリースする[16]。吉井は本作の主人公である「ジャガー」になりきるため、髪を丸坊主の軍人カットにした。春、夏、冬と3本のツアーを通して1年がかりで「恋人マリーと出会う」というストーリーの結末に向け、通常のMCを廃した独自のステージを展開した。観客動員は軒並み上がっていったが売り上げ枚数は伸び悩み、吉井は「なんでライブはみんな虜になってくれるのに、音源に関してはそうならない?」と悩んだという[17]。観客動員が良かったこともあり、ツアーの終盤に翌年日本武道館公演が実施されることが決定する。, この年には『ROCKIN'ON JAPAN』3月号の表紙を飾ったが、抜擢した副編集長の井上貴子は後に「当時もまさかの表紙で、業界の波紋を呼んだ。だからこそやってよかった、といまだに思える一冊」と述懐している[18]。, デビュー以降思うようなセールスを残せなかったことで、メンバーはスタッフとミーティングを重ねた。ディレクターである宗清との「10万枚で終わるか、オリコン1位を目指すのか」という話し合いに、メンバーは「オリコン1位を目指す」という答えを出し、これを機にしてチャート向けな楽曲作りに路線変更する[16]。1995年1月にリリースされた5thシングル「Love Communication」はヒット曲を意識して作られ、目論見通り自身初のオリコンシングルチャートTOP30入りを果たし、スマッシュヒットを記録。同年2月にリリースされた4thアルバム『smile』はオリコンアルバムチャート初登場4位を記録し、大幅に売上はアップした。, このアルバムを携え、同年4月に初の日本武道館公演を実施し、即日完売するなど順調に人気を上げていく。同年7月にリリースされた7thシングル「追憶のマーメイド」がシングル初のTOP20入り、同年9月にリリースされた8thシングル「太陽が燃えている」がシングル初のTOP10入り、イギリスでレコーディングされた5thアルバム『FOUR SEASONS』が念願のオリコン初登場1位を記録するなど、バンドの人気を確実なものとする。帰国後まもなく始まったツアー「TOUR '95 FOR SEASON」ではトータルで9万人を動員した。, 1996年2月にリリースされた9thシングル「JAM/Tactics」が累計80万枚(公称。オリコンでは約60万枚)、同年7月にリリースされた10thシングル「SPARK」が累計55万枚を超えるヒットを記録する。, 「SPARK」リリースの直後、1996年7月に日本コロムビアを離れてファンハウス(現・アリオラジャパン)に移籍。吉井は移籍に関し「『ちょっと違うレーベルでやってみたいね』っていうことだった」「色々折り合いがつかない部分が出てきた」ためと後年に振り返っている[19]。同年の12月には日本コロムビアから非公認ベスト・アルバム『TRIAD YEARS actI〜THE VERY BEST OF THE YELLOW MONKEY』が発売され、バンド唯一のミリオンセラーを記録した。, ファンハウス移籍後は独自のロックを追求。吉井は6thアルバム『SICKS』の制作にあたり、「1日3曲録音をノルマ」とする。作成した300曲を80曲に絞り、さらに厳選したものを収録曲とした。吉井は当時の状況を振り返り「自分の中で、音楽がものすごく噴出してるのがわかった」と語っている[20]。『SICKS』は吉井自らが最高傑作と自負する作品となり、オリコン初登場1位、オリジナルアルバムでは自身最高の売上を記録した。, 11thシングル「楽園」、12thシングル「LOVE LOVE SHOW」、13thシングル「BURN」(公称累計90万枚。オリコンでは約66万枚)など、シングルにおいても、いずれも45万枚以上の高いセールスをキープ。14thシングル「球根」は、シングルでは自身唯一のオリコン初登場1位を記録するなど、この時期に最も安定した人気を保つことになる。, 1997年は精力的なライブ活動を行い、2月には20公演を回る「ARENA TOUR '97 "FIX THE SICKS"」を実施し、トータル15万人を動員。同年7月に「フジロックフェスティバル '97」に参加(後述)。同年8月、全国5会場のスタジアムツアー「TOUR '97 〜紫の炎〜」を実施し、4万人近いキャパシティを軒並みソールドアウトにした。, 1998年にリリースされた7thアルバム『PUNCH DRUNKARD』では、3作連続となるオリコン初登場1位を記録。ハードロック寄りとなり、ライブを強く意識したアルバムとなった。その一方で吉井は「世田谷のスタジオでデモを録ったんですよ。(中略)音も良かったし、勢いもすごかった」「(ロンドンでレコーディングを開始したら)なんか上手く行かない。あのデモを超えられない」といったスランプ状態に陥り[21]、「今まで上昇していたバンドが下降し始めた感じ」を実感していたという[22]。, このアルバムを携え、同年4月にはホール72本・アリーナ41本・計113本を1年かけて回る「PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/99」を実施。同年1月7日の読売新聞紙上で、14thシングル「球根」と『PUNCH DRUNKARD』のリリース情報とともに、全113本のツアー日程が全面広告で掲載された。3日に1回のペースでライブを行ったツアー以外の面でもメンバーは多忙を極め、ツアー中に計4枚のシングルをリリースし、それに伴うレコーディング・PV撮影・TV出演、同年7月にはイギリスでのライブを実施、翌年に公開された高橋栄樹の監督映画『trancemission』の撮影、同年12月28日には「メカラ ウロコ・9」を行うなど、精力的に活動を行った。, 数々のアクシデントにも見舞われ、同年9月9日の香川県県民ホールのライブ終了後、過労によって倒れた吉井が病院へ運ばれる事態に。年始一発目の1999年1月9日には音響スタッフがステージの「奈落」に落下して死亡するなど、メンバーにとっては精神的・体力的にもハードなツアーとなった。, 選曲の面でも吉井は苦悩し、前半のホールツアーは「洋楽志向のチャレンジ」として『PUNCH DRUNKARD』のアルバム曲が中心であったが、ツアーラストである1998年10月6日の岡山市市民会館で、吉井が「このツアーは失敗でした」と発言。後半のアリーナツアーからは「エンターテインメントに戻す」とし、アルバム曲を控えて過去のヒット曲を中心に演奏するようになった[23]。, 吉井は後に、1999年3月10日に横浜アリーナで行われたファイナルを「覚えてない。お客さんが見えていない」[24]、ツアー全体を「ひたすら打たれ続けてた感じ」と表現した[25]。「PUNCH DRUNKARD TOUR」は延べ55万人を動員し、1年間の経済効果は、グッズ・チケット・CDなどの売上を合わせ、100億円以上になるという[26]。, このツアーのドキュメントとして、2013年9月28日に『パンドラ ザ・イエロー・モンキー PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE』が公開されている。, 「PUNCH DRUNKARD TOUR」終了後、吉井は休養期間にシングル候補曲を10曲制作した。さらにバンドサウンドを見直すためのミーティングが行われ、シングル作品に朝本浩文、森俊之、笹路正徳などの外部プロデューサーを導入する「コラボレーションシリーズ」を行う。吉井は「とにかくバンドを続けていくため、2000年はシングルを多くリリースする」という方針に決定。その理由として、「長期間休んだ後に良いものを作れる自信がなかった。バンドの色々なことを一つずつ直していきたかったから」と語っている[15]。, 後に吉井は「自分の楽曲を他人に委ねることは、よく考えれば、もう終わったってこと」[27]とし、この時期の活動へ否定的なスタンスに立っているが、反面「このまま手癖で続けるわけにもいかず、30代、40代とバンドを続けていくために必要なことだったのも事実」ともした[28]。また、招聘したプロデューサー陣は「このままがいい」などとし、バンド・吉井の狙いとは裏腹にサウンド面へ変化をもたらすディレクションはあまり受けることはなかったという[29]。, 8thアルバム『8』の楽曲のレコーディングのためにロンドンへ向かった際、当時メンバーが多忙だったこともあり、スタジオに吉井一人しかいないという状況が続く[30]。メンバーとの温度差を感じ始めた吉井が、帰国後の2000年3月18日にバンドの所属事務所ボウィンマン(BOWINMAN)に社長含む関係者を集め「俺をクビにしてくれ」と頼み込み、バンドへの不満を投げかけた[31]。バンドは存続したが、「微妙な距離感が生まれた」と吉井は語っている。ただし、後に廣瀬は「俺をクビにしてくれ」という発言の直後に「そりゃねえだろ!」の突っ込みを廣瀬が入れるなど雰囲気は決して暗いばかりではなかったと語っている[32]。, 吉井の発言の後、事務所は沈黙が続いたが、そこへコロムビア時代のプロモーション担当者である中原繁の訃報の電話が鳴った。中原はかつて「JAM」を懸命に売り込みヒットに導いた。それまでのヒット路線を逸脱する「JAM」をコロムビアは容易に認めなかったが、そのコロムビア社内にあって中原は奮闘し、『ミュージックステーション』にバンドを引っ張り「JAM」を歌わせた。中原の急死を伝える電話により解散の危機は回避され、「少し休もう」と、THE YELLOW MONKEYは活動休止期間に入ることになった[* 3]。, 2000年7月にリリースされた22ndシングル「パール」、同年7月にリリースされた8thアルバム『8』は吉井のセルフプロデュース作品となった。『8』のアルバムツアーは行われず、バンドは初となる国内ロックフェスに参加。しかし、そこでの吉井はノーメイクでジャージ姿という格好で出演。「はたから見ても異常、イエローモンキーを引き受けていない」状態であった[33]。, 同年12月30日、『CDTV年越しプレミアライブ』に緊急生出演。吉井が「ツアーが終わったら、俺たちプー太郎になっちゃうけど…」とコメントした後、23rdシングル「BRILLIANT WORLD」を披露し番組のトリを飾る。これが活動休止前の実質THE YELLOW MONKEYとしての最後のTV出演となった。, 2001年1月8日に初の東京ドーム公演となる「メカラ ウロコ・8」を行う(詳細は後述)。吉井は「最後の東京ドームのライブは死んでた。(中略)なんの気持ちの昂りもなかった」「とにかくこれをやったら終われる。やっと休める」といった気持ちを持っていたという[34]。初の大舞台にも関わらずメンバーはステージ裏で円陣を組んだり会話をしたりすることもなく淡々としており、「振り返ると、それだけモンスターバンドだったんだなあと。(中略)もう本能でやれる」と胸懐した[35]。, 「メカラ ウロコ・8」終了後にバンドを活動休止させ、メンバーはそれぞれソロ活動期間となる。ファンは活動再開を待ち望んだが、2004年7月7日に解散を正式発表した。吉井は「解散を伝えたその日に会って、近況を聞いてみたら、皆それぞれやりたいことがあって、バンドに戻れる状態じゃないと思った。各々好きな事をやりながら、年に一回アルバムを作ってライブをするという意見もあったけど、僕にとってこのバンドっていうのは、それじゃ駄目だった」「疲れもあるけど、メンバーがどうこうなんて言えない。バンドを解散させるのは辛いし、メンバーは最高だから、別れるのは寂しいし、心細いんだけど、とにかく解散は僕の我儘で、僕の責任」と語った。逆に、他のメンバーからは「吉井を追い込ませて、感情を吐き出させてやれなかった」「もっと力になってやりたかった」など、互いを擁護する発言が目立った。, 同年12月26日、東京ドームで開催された「THE EXHIBTION AND VIDEO FESTIVAL OF THE YELLOW MONKEY メカラ ウロコ・15」の最終日にメンバーが再集結し、9thシングル「JAM」を演奏した。会場中が合唱の中、吉井は「ずっと歌ってて下さい」と言い残し、メンバーは去った。実は去り際にマイクオフの状態で吉井が「ありがとう」と言っているが、会場にはほとんど聞こえていなかったため、物議を醸した。, 後に吉井は「マイク通してはね、ダメだったの。(中略)“ありがとう”より“ごめんね”って言いたかったかな」「オフマイクで“ありがとう”って言って、終わらしたくない気持ちがまだ残ってるわけですよ、きっと。言っちゃったらほんとに最後というか…。だからもしかしたら僕の中でイエローモンキーは成仏してないのかもしれない」という心境だったことを明かし[36][37]、また「JAM」を演奏した後に「THE YELLOW MONKEYは終わりません」というMCを吉井自身も期待していたが、「バンドは完全に終わっているんだということを、演奏しながら感じちゃった」という[38]。, バンド解散後、各メンバーはソロミュージシャンとしての活動を継続。特にフロントマンの吉井は大規模なツアーを行うなど精力的に活動する。THE YELLOW MONKEYとしても、解散後にもかかわらず公式ウェブサイトが開設された。吉井はソロ活動で2007年に「"JAM" 以来」の「空気感が出せた」シングル「バッカ」をリリースし、このミュージック・ビデオの中では「JAM」の映像が使用されている。解散中も様々なミュージシャンがTHE YELLOW MONKEYの各曲をカバーし、披露した。バンドへのトリビュート・アルバム『THIS IS FOR YOU〜THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM』はファンハウスを引き継いだレコード会社アリオラジャパンから2009年にリリースされた。2013年に吉井が「来年から、普通じゃない野良犬に戻ります」を宣言しファン投票ベストアルバム『イエモン-FAN'S BEST SELECTION-』(コロムビア)の発売・アルバムリマスター盤の発売・過去のライブDVDのリリースなどが行われた。, 解散からの年月は色々なわだかまりを消し去り、吉井はファンが待っていることも分かっていた[39]。吉井はロンドンのハイド・パークで2013年7月6日と7月13日に開催されたローリング・ストーンズの歴史的ライブを観た[* 4]。バンドが宝であると改めて思った[39]。吉井は、もう一回バンドをやってほしいと、かつてのメンバーにロンドンからメールを送信した[39]。その頃の吉井は「憧れのレーベル」[40]であったEMIからソロの諸作品をリリースしていたが、2014年11月18日に古巣コロムビアへの移籍を発表した[41]。それとともにレアコレクションの発売が敢行された。, 2016年1月4日、奇しくも申年となったこの年にTHE YELLOW MONKEYの新公式サイトに“Repus”と称した謎のカウントダウンティザー広告が表示され、1月8日がカウントダウンの期日となっていた。また、同じページには英字の暗号文章が記載されており、インターネット上では様々な憶測を呼んだ。
オンラインライブチケットの料金は、 通常価格は4000円(税込)ですが、 ニコ生のプレミアム会員では3400円(税込)で購入できる。, 日時:11月7日(土) 18時~ ※プレミアム会員であれば、 通常価格より「600円」お得です! TYMS NOW REPORT・『9999』と『ボヘミアン・ラプソディ』の不思議な関係。・初体験!L.A.レコーディングの成果と秘密。...etc.TYM TRAVELトークテーマ:1997年・人気が爆発すると、パパラッチも色めき立つ。...etc.
})(document, 'script'); アニメ『半妖の夜叉姫』大人気放送中!「少年サンデーS(スーパー)」12月号は『犬夜叉』特大号! |-, 収録曲: 「楽園」、「TVのシンガー」、「紫の空」、「LOVE LOVE SHOW」(Album Version)、「BURN」、「MY WINDING ROAD」、「NEW YORK CITY LOSER」, 3月25日 Electric Lady Land3月27日 KYOTO MUSE3月29日 DRUM Be-13月30日 WOODY STREET4月1日 難波ロケッツ4月14日 渋谷CLUB QUATTRO4月21日 大宮フリークス, 7月22日 amHALL7月24日 WOODY STREET7月25日 DRUM Be-17月27日 Electric Lady Land7月30日 ON AIR, 8月9日 石川県森林公園8月11日 寺田倉庫 F号8月22日 大宮フリークス8月31日 MODAホール9月24日 CLUB GIO Ichikawa9月28日 CLUB 24 YOKOHAMA10月24日 日清パワーステーション10月31日 明治学院大学11月3日 名城大学11月4日 KYOTO MUSE, 12月24日 Electric Lady Land12月26日 WOODY STREET12月27日 DRUM Be-112月29日 amHALL1月26日 日清パワーステーション, 3月23日 Electric Lady Land3月25日 WOODY STREET3月27日 DRUM Be-13月29日 難波W'OHOL3月2日 BEEBベースメントシアター4月5日 PENNY LANE 244月9日 日清パワーステーション, 6月10日 名古屋CLUB QUATTRO6月11日 難波W'OHOL6月19日 日本青年館, 8月3日 日清パワーステーション(無害の狂犬DAY)8月10日 日清パワーステーション(パトラッシュDAY)8月17日 日清パワーステーション(ドーベルマンDAY), 9月2日 ナミキジャンクション9月3日 DRUM Be-19月4日 難波W'OH0L9月5日 名古屋CLUB QUATRO, 11月20日 難波W'OH0L11月21日 名古屋CLUB QUATRO11月24日 中野サンプラザ, 3月19日 NEOPOLIS HALL3月21日 NCC&スタジオ3月22日 DRUM Be-13月24日 大阪国際交流センター3月25日 CLUB DIAMOND HALL3月29日 中野サンプラザ3月30日 中野サンプラザ4月8日 新潟CLUB JUNK BOX4月9日 BEEBベースメントシアター4月11日 青森クォーター4月13日 PENNY LANE 24, 7月17日 日比谷野外音楽堂7月21日 大阪厚生年金会館7月22日 CLUB DIAMOND HALL7月30日 渋谷公会堂, 11月4日 NEOPOLIS HALL11月9日 都久志会館11月13日 新潟文化村O-DO11月15日 仙台市民会館12月11日 PANNY LANE 2412月13日 青森ラビナホール12月15日 宇都宮市文化会館12月17日 渋谷公会堂12月23日 サンケイホール12月24日 愛知県勤労会館12月26日 中野サンプラザ12月27日 中野サンプラザ, 3月21日 大阪厚生年金会館3月22日 広島市南区民文化センター3月23日 福岡電気ホール3月25日 NCC&スタジオ3月28日 石川県教育会館3月29日 新潟フェイズ3月31日 仙台市青年文化センター4月3日 愛知県勤労会館4月6日 青森市民文化ホール4月7日 サッポロファクトリーホール4月11日 日本武道館, 8月15日 富士急ハイランド コニファーフォレスト8月31日 大阪厚生年金会館9月1日 大阪厚生年金会館, 11月24日 結城市民文化センター アクロス11月28日 新潟テルサ11月30日 金沢市文化ホール12月2日 秋田県児童会館12月4日 仙台市民会館12月5日 郡山市民文化センター12月6日 岩手教育会館12月8日 福岡市民会館12月11日 長崎市公会堂12月12日 熊本県立劇場12月14日 アステールプラザ12月15日 愛媛県県民文化会館12月17日 大阪城ホール12月20日 札幌市民会館12月23日 名古屋市民会館12月24日 長野県県民文化会館12月28日 日本武道館12月29日 日本武道館, 1月18日 静岡市民文化会館1月20日 名古屋市民会館1月22日 仙台市民会館1月25日 岡山市民会館1月28日 神戸国際会館 ハーバーランドプラザ, 5月17日 戸田市文化会館5月19日 鹿児島市民文化ホール5月20日 宮崎市民文化ホール5月21日 熊本市民会館5月23日 長崎市公会堂5月24日 下松市文化会館5月26日 神奈川県民ホール5月27日 市川市文化会館5月29日 神戸国際会館 ハーバーランドプラザ5月31日 四日市市文化会館6月1日 長良川国際会議場6月3日 守山市民ホール6月4日 京都会館6月6日 群馬県民会館6月7日 新潟県民会館6月9日 石川厚生年金会館6月11日 宇都宮市文化会館6月12日 郡山市民文化センター6月15日 福岡サンパレス6月18日 山形県県民会館6月19日 秋田県民会館6月21日 岩手県民会館6月23日 旭川市民文化会館6月24日 北海道厚生年金会館6月26日 仙台サンプラザ6月28日 青森市文化会館7月1日 北とぴあ7月2日 大宮ソニックシティ7月4日 高松市民会館7月5日 松山市民会館7月7日 高知県立県民文化ホール7月8日 徳島市立文化センター7月10日 広島郵便貯金ホール7月11日 岡山市民会館7月13日 八王子市民会館7月17日 名古屋国際会議場 センチュリーホール7月18日 名古屋国際会議場 センチュリーホール7月20日 NHKホール7月21日 NHKホール7月24日 大阪厚生年金会館7月25日 大阪厚生年金会館7月27日 長野県県民文化会館7月30日 静岡市民文化会館, 2月21日 松本市総合体育館2月27日 日本武道館2月28日 日本武道館3月11日 広島サンプラザ3月14日 高松市総合体育館3月19日 仙台市体育館3月20日 仙台市体育館3月25日 新潟市産業振興センター3月29日 福岡国際センター3月30日 福岡国際センター4月2日 鹿児島アリーナ4月10日 北海道立産業共進会場4月16日 盛岡市アイスアリーナ4月19日 浜松アリーナ5月2日 名古屋市総合体育館 レインボーホール5月3日 名古屋市総合体育館 レインボーホール5月7日 横浜アリーナ5月8日 横浜アリーナ5月12日 大阪城ホール5月13日 大阪城ホール, 8月23日 国営みちのく杜の湖畔公園8月30日 福岡マリノア9月7日 西武ライオンズ球場9月14日 阪急西宮スタジアム9月23日 名古屋市国際展示場 特設ステージ, 1998年4月3日 戸田市文化会館4月5日 郡山市民文化センター4月6日 山形県県民会館4月8日 秋田県民会館4月10日 青森市文化会館4月11日 青森市文化会館4月13日 岩手県民会館4月14日 岩手県民会館4月17日 函館市民会館4月19日 室蘭市文化センター4月21日 北海道厚生年金会館4月22日 北海道厚生年金会館4月24日 北見市民会館4月25日 釧路市民文化会館4月28日 仙台サンプラザ4月29日 仙台サンプラザ5月1日 神奈川県民ホール5月2日 神奈川県民ホール5月4日 宇都宮市文化会館5月6日 富山市芸術文化ホール5月8日 新潟県民会館5月9日 新潟県民会館5月11日 石川厚生年金会館5月12日 フェニックス・プラザ5月14日 千葉県文化会館5月15日 茨城県立県民文化センター5月18日 群馬県民会館5月26日 大宮ソニックシティ5月28日 山梨県立県民文化ホール5月29日 長野県県民文化会館6月2日 大分文化会館6月4日 福岡サンパレス6月5日 福岡サンパレス6月7日 長崎市公会堂6月9日 熊本市民会館6月10日 宮崎市民文化ホール6月11日 佐賀市文化会館6月13日 鹿児島市民文化ホール6月14日 鹿児島市民文化ホール6月17日 沖縄コンベンションセンター 劇場6月18日 沖縄コンベンションセンター 劇場6月24日 京都会館第一ホール6月25日 守山市民ホール6月29日 富士市文化会館ロゼシアター6月30日 四日市市文化会館7月2日 和歌山県民文化会館7月3日 奈良県文化会館7月5日 長良川国際会議場7月7日 豊橋勤労福祉会館7月8日 静岡市民文化会館7月10日 フェスティバルホール7月13日 神戸国際会館 ハーバーランドプラザ7月14日 神戸国際会館 ハーバーランドプラザ9月1日 広島厚生年金会館9月2日 広島厚生年金会館9月4日 島根県民会館9月5日 鳥取県民文化会館9月7日 徳山市文化会館9月9日 香川県県民ホール9月10日 香川県県民ホール9月12日 鳴門市文化会館9月14日 高知県立県民文化ホール9月15日 愛媛県県民文化会館9月18日 フェスティバルホール9月19日 フェスティバルホール9月23日 NHKホール9月24日 NHKホール9月26日 NHKホール9月27日 NHKホール10月1日 名古屋国際会議場 センチュリーホール10月2日 名古屋国際会議場 センチュリーホール10月6日 岡山市民会館10月23日 浜松アリーナ10月24日 浜松アリーナ10月29日 真駒内屋内競技場10月30日 真駒内屋内競技場11月3日 岩手産業文化センター11月4日 岩手産業文化センター11月7日 山形市総合スポーツセンター11月8日 山形市総合スポーツセンター11月12日 石川県産業展示館 4号館11月13日 石川県産業展示館 4号館11月20日 長野市若里多目的スポーツアリーナ11月21日 長野市若里多目的スポーツアリーナ11月24日 新潟市産業振興センター11月25日 新潟市産業振興センター12月26日 日本武道館12月27日 日本武道館1999年1月9日 グリーンドーム前橋1月10日 グリーンドーム前橋1月13日 宮城県総合運動公園総合体育館1月14日 宮城県総合運動公園総合体育館1月20日 名古屋市総合体育館 レインボーホール1月21日 名古屋市総合体育館 レインボーホール1月23日 名古屋市総合体育館 レインボーホール1月29日 マリンメッセ福岡1月30日 マリンメッセ福岡2月2日 大阪城ホール2月3日 大阪城ホール2月5日 大阪城ホール2月6日 大阪城ホール2月9日 徳島県立産業観光交流センター2月14日 広島県立総合体育館 グリーンアリーナ2月17日 マリンメッセ福岡2月18日 マリンメッセ福岡2月22日 鹿児島アリーナ2月23日 鹿児島アリーナ2月27日 沖縄コンベンションセンター 展示棟2月28日 沖縄コンベンションセンター 展示棟3月6日 横浜アリーナ3月7日 横浜アリーナ3月9日 横浜アリーナ3月10日 横浜アリーナ, 7月18日 ノッティンガム・Rock City7月20日 ロンドン・London Astoria, 4月8日 名古屋市総合体育館 レインボーホール4月9日 名古屋市総合体育館 レインボーホール4月15日 大阪城ホール4月16日 大阪城ホール4月19日 マリンメッセ福岡4月20日 マリンメッセ福岡4月28日 北海道立産業共進会場4月29日 北海道立産業共進会場5月9日 横浜アリーナ5月10日 横浜アリーナ, 12月10日 岩手県民会館12月11日 仙台サンプラザホール12月13日 札幌市民会館12月15日 アステールプラザ 大ホール12月16日 福岡サンパレス12月18日 新潟県民会館 大ホール12月20日 松山市民会館12月21日 大阪厚生年金会館 大ホール12月22日 愛知県勤労会館12月26日 東京ドーム, 5月11日 国立代々木競技場 第一体育館5月12日 国立代々木競技場 第一体育館5月28日 長野市若里多目的スポーツアリーナ5月29日 長野市若里多目的スポーツアリーナ6月11日 広島県立総合体育館 グリーンアリーナ6月12日 広島県立総合体育館 グリーンアリーナ6月18日 セキスイハイムスーパーアリーナ6月19日セキスイハイムスーパーアリーナ6月28日 日本ガイシ スポーツプラザ 日本ガイシホール6月29日 日本ガイシ スポーツプラザ 日本ガイシホール7月5日 大阪城ホール7月6日 大阪城ホール7月9日 さいたまスーパーアリーナ7月10日 さいたまスーパーアリーナ7月16日 マリンメッセ福岡7月17日 マリンメッセ福岡7月26日 ワールド記念ホール7月27日 ワールド記念ホール9月10日 真駒内セキスイハイムアイスアリーナ9月11日 真駒内セキスイハイムアイスアリーナ, 11月12日 森のホール2111月15日 秋田県民会館11月18日 静岡市民文化会館11月19日 コラニー文化ホール11月21日 ベイシア文化ホール11月24日 岩手県民会館11月25日 リンクステーションホール青森11月28日 ロームシアター京都11月30日 北陸電力会館 本多の森ホール12月2日 新潟県民会館12月7日 オーバード・ホール12月9日 長崎ブリックホール12月10日 iichikoグランシアタ12月12日 鹿児島市民文化ホール12月14日 ひめぎんホール12月18日 倉敷市民会館, 10月1日 釧路市民文化会館10月8日 滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール10月9日 米子コンベンションセンター10月15日 ミュージックタウン音市場10月22日 香川県県民ホール10月29日 やまぎんホール11月3日 和歌山県民文化会館11月5日 三重県総合文化センター, 4月27日 静岡県小笠山総合運動公園アリーナ4月28日 静岡県小笠山総合運動公園アリーナ5月11日 北海道立総合体育センター 北海きたえーる5月12日 北海道立総合体育センター 北海きたえーる5月25日 福井県産業振興施設6月7日 大阪城ホール6月8日 大阪城ホール6月11日 横浜アリーナ6月12日 横浜アリーナ6月29日 秋田県立体育館7月6日 さいたまスーパーアリーナ7月7日 さいたまスーパーアリーナ7月13日 マリンメッセ福岡7月14日 マリンメッセ福岡7月20日 広島県立総合体育館 グリーンアリーナ7月21日 広島県立総合体育館 グリーンアリーナ8月3日 セキスイハイムスーパーアリーナ8月4日 セキスイハイムスーパーアリーナ8月8日 日本武道館8月9日 日本武道館8月26日 ワールド記念ホール8月27日 ワールド記念ホール9月3日 徳島県立産業観光交流センター9月14日 福島県営あづま総合体育館9月15日 福島県営あづま総合体育館9月21日 熊本産業展示場9月22日 熊本産業展示場, 12月28日 ナゴヤドーム2月11日 京セラドーム大阪4月4日 東京ドーム(中止)[* 11]

番組名:THE YELLOW MONKEY2夜連続横浜アリーナ映像一挙放送『FIX THE SICKS』 (Dr)菊地英二